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世界の先駆者!?に聞いたOSS「肉の日リリース」の話

2023年入社組の屋代です。テストとドキュメントのエンハンスメントを中心に担当しています。

  • ドキュメント上の更新日付を相談したら「肉の日リリースの29日で」と即答された
  • 社内チャットに「ラピッドリリースサイクル」の話題が出た際、「肉の日リリースのパクリ」と発言があった

ことが相次いで関心がにわかに高まり、創業メンバーの1人である足永さんに話を聞く機会を作ってもらいました。

名付けて「肉の日サロン」です。

肉の日サロン:「肉の日リリース」の誕生

(ヤシロ)――さっそくですが、こちらが肉の日リリースの始まりと聞きました

2003年 1月 29日 (水) 21:26:07 JST

バージョン0.0.2をリリースします。 まだかなり不完全ですが、肉の日という理由だけでリリースです。

https://web.archive.org/web/20231124045220/https://ja.osdn.net/projects/kazehakase/lists/archive/devel/2003-January/000000.html

足永「そうですね」

(以下発言者省略)

風博士

――ページを見ますと、「風博士」というWebブラウザなんですね

「はい。そのアナウンスを出した池添さんが始めたものです。当時SIerに勤めていたのを辞めて大学に入り直されていたという、少し珍しい経歴の方です」

「池添さんとはDistribution周辺のコミュニティで接点があって、私も開発に参加するようになりました」

――足永さんは当時、どういう状況だったんですか?

「大学卒業後、フリーターなどをやってました。OSSに興味があって、迷いつつ仕事にしたいと考えていた頃です」

――「風博士」というのは、どんな技術を使っていたのですか?

「エンジンはGeckoで、UIはC(GTK+)で書いていました。Rubyで機能拡張できる仕組みもありました」

――それにしても、変わった名前ですよね

「それはもう完全に池添さんの趣味です」

――坂口安吾の短編小説に「風博士」がありますけど、そこからですかね?

「でしょうね」

――前に、あらゆる短編の最高傑作ぐらいに褒めてた人がいて読みましたが、よくわからなかったです

諸君、彼は禿頭である。然り、彼は禿頭である。禿頭以外の何物でも、断じてこれある筈はない。1

当時のOSS事情とOSDN

――足永さんはほかに当時、どういう活動をされていたんですか?

「動画や画像系のことをやっていて、GImageViewという画像ビューアを開発していました。2001年ごろのことです」

「風博士の開発に声がかかったのは、LinuxでのGUIの知見を生かせるというのもあっただろうと思います。ブラウザエンジンとしてはGeckoを使いつつも、当時のマシンスペックではXULが重かったこともあり、UIは好みで開発する流れがありましたので」

――先ほどのアナウンスが載っていた「OSDN」というのは何でしょうか?

「簡単(狭義)に言えば、オープンソースの開発をホスティングする(していた)サイトです。当初はSourceForge.netの日本版という位置づけでした」

「Gitを使ったリポジトリが一般的になる前にはオープンソースソフトウェアの開発によく利用されていました。ただ最近は運営が安定していないですね」

――そうなんですか

「ええ。そのあたりは佐渡秀治さんが詳しく書いています2

――わかりました。あとで見ておきます

風博士と「稼ぐ」

――その後足永さんはグッデイに入社されたと聞きました

「はい。2003年の暮れです」

――大阪にあった会社ですよね

「ええ」

――関東から、大阪へ引っ越されたんですか?

「はい。千葉県の松戸から」

――初めての土地で不安はなかったですか?

「ありました。でも住んだら住んだで大阪もいいところでしたよ」

――入社して「風博士」の開発をされたんですか?

「いいえ。業務で触るということはなかったです。サポートで稼ぐというアイデアは当時からありましたが」

――どんな業務に就かれていたのでしょうか?

「IPAのOSS活用基盤整備事業として、GNU/Linux日本語入力の開発をやりました3

「あとはDebianをインストールしたノートPCの販売だとか、いろいろです」

――「サポートで稼ぐ」部分は順調ではなかったのですね?

「はい。当時のグッデイはオープンソースの世界で活動するエンジニアを積極的に集めていたのですが、時代的にも、オープンソースの技術力をお金に換えることがまだまだ難しい状況でした。それで経営が危なくなってきました。2005~6年頃のことです。そうした経緯から2006年4月に東京オフィスが開かれることになり、私もそちらに異動しました」

――クリアコードの会社情報を見ると、設立が2006年7月25日となっています。東京オフィスは独立創業ぶくみでの開設だったわけですか?

「結果的にはそうなってしまいました」

「肉の日」だった理由

――肉の日リリースの話に戻ります。どこからアイデアが出てきたんでしょうかね?

「当時の主な開発スタイルはロードマップ優位で、機能の実装が遅れるとリリースも遅れることが常でした。そこを変えたかったのがあると思います」

「ちょうどその頃、池添さんが2ヶ月ほどロシアへ森林調査に行くことになりまして。ネットアクセスのない環境だから「リリースできないんで代わりにやっといて」と。それで頼まれたのが本格的な始まりでした」

――なるほど。リリースサイクルを一定にすることで開発にある種のリズムができることはわかります。でもそこでなんで29日の肉の日だったんですか?

「近所の肉屋さんで肉がお買い得になる。その都合です」

――ははは。そうなんですね

――過去のククログ記事にも肉の日に関する話題がありますね4

「そのへんを面白がってもらえたかして、いくらかは肉の日リリースを真似されることもありました。『コードリーディング』という本のカバーの裏にも肉の日リリースの話題が書かれていました」

――肉の日かどうかは別として、UbuntuにしてもFirefoxにしても、リリースサイクルを一定にすることが今は一般的なスタイルですよね。パクられましたね?

「それはどうかわかりませんけど。Ubuntuの最初のバージョンは2004年10月5ですから、自分たちの方が早かったのは確かです」

もう1つの「リリースの日」誕生秘話

――よくわかりました。担当プロジェクトでも、肉の日を目標にリリース計画を立てるようにします

(経理担当より)「実は、月末は避けてほしいというのもあったり」

「じゃあ、石の日リリースで」

――え!そんなのもあるんですね。「石」ということは、14日ですか?

「はい。ケッセキで」

――欠席?……いや、結石ですか?

「肉の日にリリースしてそのたびに肉を食べていたら、尿管結石ができてしまったので」

――なんとそんなことに。じゃ結石つくらなきゃダメじゃないですか

「結石をリリースする日だから、つくらなくていいです」

――そういうもんですか?!

インタビューを終えて

第1回「肉の日サロン」のもようをお伝えしました。雰囲気だけでも伝わっていますでしょうか。

後から調べたらGPLv3の公開日が「29 June 2007」でした6。全くの偶然でも29日になり得ますが、「影響を与えた」と考えておく方が面白いのでそう取っておきます。

GPLv3にも影響を与えた(曲解)「肉の日」がクリアコードの大きな文化的支柱となっていることを知りました。これから「いつも心に肉の日を」をモットーに業務に取り組んでいきます。

  1. 坂口安吾「風博士」(青空文庫)

  2. 日米OSDN離合集散、苦闘の21年史(shujisado.com)

  3. 2004年度 第1回オープンソフトウエア活用基盤整備事業 採択概要 「オープンソースデスクトップ環境における日本語入力の改善

  4. 2009-02-10 肉リリース結果、2013-03-21 日本OSS奨励賞受賞!など

  5. ubuntu.com/about

  6. The GNU General Public License v3.0